昨日は朝の6時半から野球の朝練に参加して、昼の1時から5時まで2試合。
うすうす感じてはいたんだけど、走れない自分を痛感した。昼の試合の相手が大学生だったこともあって、あの頃のように走れない自分との対照で、彼らの躍動する姿が眩しかった。思えば遠くに来たもんだ…。
こどもの日に―白鳥も君も同じ命なのに(asahi.com)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
中学生がゲーム感覚で白鳥を撲殺したのは大人のせいとでも言いたいようにも読める。
少年の「残虐」行為が話題になる度に、「ゲーム感覚」が取り沙汰される様になったなぁ、ってのを僕自身意識しだしたのは10年前なんだけど、説得力に欠けたまま同じ議論が繰り返されているような気がする。
そして、「命の大切さ」ってのも、ただ「命をいとおしむ」ってコトだけじゃ、不十分。命を食べて生きている自分をどう意識させるか。こっちの方が大切な気がする。
こどもの日に―おじさん、おばさんの出番(asahi.com)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2
私は昭和30年代にはまだ生を授かっていないから、大きな顔して言えないんだけど、「ALWAYS」成功後の30年代の持ち上げられ方って、プロパガンダ的な匂いを感じる。
いや、ただそれだけなんだけど…。
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