加藤周一さん死去:国際的な知識人 「九条の会」一貫した主張 (毎日jp)
5日、89歳で死去した評論家の加藤周一さんは、「雑種文化論」など幅広い評論で知られた。ヨーロッパの大学で初の日本人の主任教授となるなど、国際的知識人として活躍。時事問題でも積極的に発言した。
1951年からフランスに留学。帰国後、カナダ・ブリティッシュコロンビア大教授などを経て、69年、ベルリン自由大東アジア研究所日本科主任教授に就任。日本文学などを講義した。76年に上智大教授となって以降も、スイス・ジュネーブ大、英ケンブリッジ大の客員教授を務めた。
論壇での「雑種文化論」も、最初の海外経験でヨーロッパ文化の統一性に打たれたことから生まれた。日本文化を元来の日本的なものと西洋化されたものの絡み合いと再定義した。後年、幅広い知見を生かして、平凡社「大百科事典」編集長も林達夫から引き継いだ。朝日新聞の連載エッセー「夕陽妄語」は、84年から24年間続いた。
被爆直後の広島を、医学調査団の一員として訪れた経験もあり、時事的発言では、軍国主義復活の危険性と民主主義の徹底を訴えた。60年代はベトナム戦争に反対。80年代は原水爆禁止世界大会に出席したり、防衛費GNP1%枠突破を批判。90年代の政界再編を戦前の「『翼賛議会』に限りなく近づく」と問題視した。
晩年も、教育基本法改正に反対したり、「九条の会」で「武力によらない平和外交の方がはるかに現実的で経済的」などと主張。戦後民主主義を代表する知識人として、最後まで一貫した主張を展開した。【鈴木英生】
◇哲学者の鶴見俊輔さんの話
加藤さんは10歳代前半から既に日本の軍国主義に疑いを持っていた。その思いは今日まで持続し、戦争を起こす人間の存在そのものを原理的に考え、言論活動を通じて戦争のもたらす悲惨さを訴えた。
彼の知的背景には思想、哲学、文学、美術など人類が築き上げてきた芸術への深い理解と愛があったと思う。加藤さんのような人を真の意味での知識人と呼びたいし世界でもまれな存在だった。
◇後日お別れの会
葬儀は近親者で営み、後日、お別れの会を開く。喪主は妻矢島翠(やじま・みどり)さん。
毎日新聞 2008年12月6日 東京夕刊
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