25/02/2010

memo

“勝間和代ブーム”のナゼ? 斎藤 環(精神科医) (VOICE+)

「勝間 香山さん、家事は好きですか? / 香山 好きじゃないです、全然。/
勝間 私、好きなんです。洗濯物がパリッとなったり、お皿がピカピカになったりするプロセスが大好き。自分の行動で物が変化するって、楽しくないですか。だから私、ご飯を食べて『ああ、おいしい』と思うだけで毎日が幸せです。今日も昼間、子どもの友達とお母さんたちがうちに遊びに来たんですが、デリバリーでとったサンドイッチがおいしくて、幸せでした。/ 香山 ご飯で幸せになれるんだったら、別に仕事で成功したり、資産を増やしたりしなくてもいいんじゃないですか。」
 香山氏の指摘は、鋭い突っ込みというよりは、「ナイスボケ」的な皮肉が込められている。しかし香山氏はわかっているはずだ。勝間氏はもはや、こういうベクトルでしか発言できないキャラクターをつくり上げてしまっていることを。そう、彼女はもはや、現在形で「自分のダメさ」や「弱さ」を公式の場ではけっして口にできない立場にいるのだ。全国におそらく数十万人はいるであろう「カツマー」を失望させないためにも。
 それにしても「起きていることはすべて正しい」といった究極のポジティビティは、何かに似ていないだろうか。私は不謹慎ながら、新興宗教の教義を連想してしまった。


 なぜ伝統宗教ではなく新興宗教なのか。先ほども述べたとおり、勝間氏の「教え」は、あくまでも「年収アップ」や「生産性アップ」という「現世利益」のためにある。この世で少しでも幸福になるために、まずあなた自身の認識の構造を変えましょう、という方法論は、新興宗教でなければ自己啓発セミナーのそれである。
 ただし宗教と異なる点は、勝間氏自身に独自の思想や主張があるようには見えない点だ。いや、もちろん彼女自身は、いろいろなところで自らの「政治的使命」を表明してはいる。たとえば「働く母親たちを支援したい」「少子化を何とかしたい」「女性の社会参加の門戸を広げたい」など。最近ではこれに、ベストセラー作家が連帯して印税の20%を発展途上地域に寄付しようという「Chabo!」なるプロジェクトが加わっている。 だから彼女の生き方は明快そのものだ。何のためにメディアに露出し、そこまでして自著を売りまくろうとするのか。そう問われれば彼女は答えるだろう。自らの社会的影響力を高めることで、先に述べたような社会的使命を1日も早く達成することが夢なのだ、と。それ自体については、まったく文句のつけようもない。人の揚げ足を取るような文章を書くよりも、数段素晴らしい営みだ。きっと彼女はやってくれるだろう。そのうち政界進出などもありうるかもしれない。
 しかし私の濁った目には、彼女の主張とその目標とのあいだに、微妙な乖離があるように見えてしまう。多くの新興宗教も、平和とか福祉とか、誰も文句のつけようのない社会貢献を旗印に政治に影響力を与えようとするではないか。そこに漂う奇妙な居心地の悪さの正体は、「自分を変える」ことと「社会を変える」ことの方法論が、決定的にすれ違っていることに起因するのではないか。

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