突然の首相退陣と新内閣の発足で陰に隠れてしまったが、この間、民主党の衆院議員に見過ごせない動きがあった。党副幹事長だった辻恵氏が検察審査会の事務局に問い合わせの電話をかけていたという問題である。
辻氏は審査の一般的な手続きについて説明を求めただけで、批判されるようなことはないと言う。だとしても、政権党の幹部として著しく自覚を欠いた行為である。民主党は問題の所在をしっかり認識する必要がある。
資金管理団体をめぐる土地取引事件で小沢一郎前幹事長を起訴すべきか否か、審査会の議論は最終段階に入る。参院選が迫り、結論はもちろん議決の時期にも注目が集まっている。
そんな状況下で、小沢氏に近い議員が、審査員の任期や交代の際の手続き、法的助言をする弁護士の選任方法などについて問いただす。どんな意図が込められているか、誰の目にも明らかだろう。求めに応じれば政界の影響が及んだと見られかねない。事務局が回答を拒んだのは当然だ。
検察権の行使を含む広い意味での司法分野と政府・与党とは、どんな距離を保つべきか。それは、民主主義の成熟度にかかわる難しい問題である。
多数による支配に縛られず、憲法の理念、そして法と証拠に基づいて判断を下すのが司法の使命だ。中には政権にとって不都合なこともある。そこに国政調査権の行使や人事を通した干渉が生まれる可能性がある。
「偏向判決」を理由にした裁判官攻撃やロッキード裁判への介入を狙ったとされる法相の起用など、自民党政権時代に緊張した局面は何度かあった。だが、政治と司法双方に向けられた国民の監視と批判の下、何とか均衡を保ちながら関係を維持してきた。その経験と教訓は、政権が交代した後も引き継がれなければならない。
辻氏は自らのホームページで、審査会に強制起訴権限を与えたことを批判し、「国民を魔女狩りに駆り立て人権保障機能を危うくする」と説く。法改正の趣旨を踏まえない何とも一面的な見方だが、そうした問題意識を持ち、議論をおこしたいのなら、なおさら特定の事件への介入という見苦しい振る舞いはやめるべきだろう。
これまでも指摘してきたが、最近の民主党議員の言動には、今回の辻氏に通じる危うさがつきまとう。権力を握る者には権力の重みをわきまえた自制と見識が求められるが、それが共有されていないのではないか。
鳩山内閣の末期、世論の支持が離れた背景には、政策の迷走だけでなく、そうした党の体質への疑念と不信がある。そのことを議員一人ひとりが自覚して身を律しなければ、菅―枝野体制がめざす「信頼の回復」に向けた歩みも厳しいものになる。
どうしてこのタイミングで浪速のスターリニストのことを社説で取り上げるんだろうってのはあるんだけど、「危うさ」を指摘しているのが良い。その「危うさ」が「権力を握る者」に共有されていないって指摘もただただ首肯するしかない。ただ、権力ってのが単に政権とイコールって認識っぽいのが少し…。
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