03/01/2020

九夜月

61.3kg

「育休」とったら正社員に戻れなくなった女性の「意外すぎる結末」 マタハラ事件高裁判決の衝撃度(竹信 三恵子@現代ビジネス)


医学部入試で出た「猫を轢いても無罪」問題、あなたはどう答えますか? 「人の規則」と、いのちの重さ(小林 公夫@現代ビジネス)


「中国人は採用しません」差別発言に在日コリアン3世が思うこと この世界はどうも忘れっぽいみたいだ(金村 詩恩@現代ビジネス)


御宅、森女、社畜…現代の中国語、実は「日本発」の言葉だらけだった 日本と中国は似てきている(中島 恵@現代ビジネス)


筋肉の中に脂肪がたまる…!?「脂肪筋」の恐ろしいリスク 食事制限にワナがある(週刊現代@現代ビジネス)

1 件のコメント:

太眉同盟 さんのコメント...

歴史検証 この人物の光と影
鬼道で邪馬台国を統一 古代の女王「卑弥呼」の正体とは?https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/266391

 さて、この女王・卑弥呼は、日本側の記録ではどのように述べられているのでしょうか。


 筆者は第7代孝霊天皇の娘・倭迹迹日百襲姫命ではないか、と考えてきました。
「日本書紀」によれば、この姫は三輪(現・奈良県桜井市三輪)の大物主神の妻となり、八百万神を神浅茅原へ集めて、大物主神の意を伝えた、とあります。筆者にはこれこそが、日本最初の、統一の原景ではないか、と思えるのですが。

 同時に、倭迹迹日百襲姫命が生きた時代は、姫の甥(姫の異母兄・第8代孝元天皇の子)とされる開化天皇(第9代)が在位した60年間とも重なります。ほぼ邪馬台国の女王・卑弥呼の、統治年数と一致するように思えてなりません。

 彼女が現れるまでは、男の王が立って治めていたそうですが、国々は争い、乱れており、それが卑弥呼の“鬼道”(祖霊を信ずる道教的色彩の強いシャーマニズム)によって、邪馬台国(倭国)は、ようやく統一された、というのです。



卑弥呼が「親魏倭王」になれたワケ
 卑弥呼は15歳前後で女王になり、30代で後漢と通じ、老年の239年に魏との国交を開いて4回にわたって使者を送り、10年後に79歳で死亡したといわれている。
 最初の使者派遣の際、魏の皇帝は卑弥呼に膨大な贈り物を与えた上に「親魏倭王」の称号とその地位を表す「金印紫綬」を授けた。「親魏」という破格の高位の称号は他の諸国の王の上に置かれたことを意味する。これを許されたのは卑弥呼と「大月氏国(だいげっしこく)」と呼ばれたインドの王の2人だけ。卑弥呼は実力以上の評価を受けたことになる。
 その理由は当時、魏が呉、蜀の2国と激しく戦い、競い合う三国鼎立(ていりつ)の時代だったことにある。魏は呉と蜀を牽制するために邪馬台国、大月氏国との同盟関係をアピールする必要があった。そうでなければ、小国の邪馬台国を実力以上に優遇する必要はなかったのだ。