18/01/2009

センター試験終了

 センター試験と言えば、天気に恵まれないイメージがある。今年は、昨日は晴れたけど、終了した今は雨が降ってる。
 この試験が終ったからって、まだ受験は終っていない受験生が多いんだろうけど。
 こんなモノさっさと無くなれば良いのにね・・・

社説2 「大学全入」が問う入試改革(1/18) (NIKKEI NET)

 大学入試センター試験が始まり、受験シーズンが幕を開けた。1990年にスタートしたセンター試験は今年で20回目、その前身の共通一次試験の導入は79年だったから、ちょうど30年前のことだ。
 この間に入試事情は様変わりし、数字の上では志願者全員がどこかの大学に入れる「全入時代」が近づいている。しかしこれに伴う入学者の学力低下問題も深刻だ。新たな選抜システムを探る時期である。
 かつて、大学入試には難問奇問が続出し、受験生に過度な負担を強いた。その反省から、基礎学力はまず統一テストで判定しようと国公立大に導入されたのが共通一次だ。
 私立大も参加し、どの教科を使うかは各大学に委ねたセンター試験もこの理念を受け継いできた。今では私立大の大半が利用して選考の資料にしている。その限りでは一定の成功を収めた仕組みだろう。
 しかし、少子化と大学数増加のもとで「入りやすい大学」が増え、基礎学力が不十分な入学者が目立つのが実情だ。センター試験の一部の教科だけで合否を決める大学が多いし、面接などが中心のアドミッション・オフィス(AO)入試も当たり前になった。大学生の約4割が本来の学力試験を経ていないという。
 こうした状況を受けて、中央教育審議会などは大学進学を望む高校生の基礎学力を見極める「高校・大学接続テスト」の検討を提言し、久々に入試改革論議が高まっている。
 まずは各大学が形ばかりのAO入試など学力軽視の選抜をやめるべきだが、高大接続テストも重要な選択肢だろう。ただ、現行のセンター試験と別に設けるのでは屋上屋を架すことになりかねない。センター試験を高大接続テストに衣替えするといったやり方が現実的だ。
 入試改革をめぐっては、ほかにも国立大の入試日程を分散して複数受験・複数合格を可能にすべきだという意見などが出ている。センター試験も年に複数回の実施を求める声がある。高大接続テストに転換するならそれがより妥当な姿になろう。
 全入時代が到来するなかで、入試の弾力化と基礎学力の担保をいかに両立させるか。時代に合わせた制度改革をためらってはならない。

 大学全入時代になったら、「高等教育」が後期「中等教育」化するんだろうなぁってのは共通した認識じゃないのかしら?大学の関係者には…。アメリカなんかはかなり前からそんな一面があったようだし。
 一番手っ取り早いのは、大学の側が、受け入れたらそれなりの対応をとる(学力の足りない者には単位を断固として与えないことも含めて)ことなんだろうけどね。自前の試験問題も作れないような学校にそういう期待をするのは、酷な話だろうし。

社説:大学入試改革 安易な「学力不問」の流れ止めよ (毎日jp)

 センター試験が始まり、今年も大学入試たけなわだ。少子化などで数字上、総定員に総志願者数がほぼ収まる「全入時代」を迎え、多くの大学が選ぶ側から選ばれる側に回ったともいわれる。現実に昨年は私立の半分近くが定員割れを起こした。
 ここは正念場だ。ますます基礎的な学力検査を黙過するような「お手軽入試」で学生確保を図るようでは大学の将来はない。手間をかけ、試行錯誤はあっても適性、意欲、能力、知識を判定する入試本来の姿に近づけないと、大学は評価と信用を失うしかない。日本の高等教育全体を損ねかねず、目指す「知識基盤社会」実現もおぼつかない。
 入試改革は曲折の軌跡だ。寄せ来る受験生をふるいにかけるだけが目的の難問奇問を排し、幅広く基礎的な学力を確かめ、その上で各大学が独創的な選抜試験をする。そんな目的で30年前導入されたのが国公立の共通1次試験だ。だが一律・共通のため得点で受験生の入学先の偏差値ランキングを作る結果になり、1990年に今の大学入試センター試験になった。
 これは私立も自由に利用でき、この試験で各校が志願者に課す科目も独自に選択できる。これでランキングを生じさせる弊害を避け、入試の多様化、個性化が一段と進むはずだった。だが、進学率は上がるものの、少子化や規制緩和の大学増設などで大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。
 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸(けいがい)化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。
 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基本的な教養の欠落も指摘されている。
 教育界の危機感は深い。昨年末、中央教育審議会は大学学部教育改革の答申で、こんな現実を直視し「学力不問」の実態を改めてAOや推薦でも「学力把握措置」を講ずるよう求めた。そして高校・大学が協力して進学志望者の学力把握を図る「高大接続テスト」も検討案に加えたが、これはもはや高校の卒業認定はあてにできないという示唆とさえ受け取れる。
 だが、より根本の問題は学習意欲や動機付けだ。日本の子供たちが勉強を楽しんだり、将来の夢と結びつけたりすることが相対的に希薄なことは国際比較調査に表れている。入試改革は単に受験知識を増加させればよいのではなく、適性や意欲、好奇心などを土台にする基礎学力をより的確に見いだすものへ変わらなければ真の改善には遠い。

 文部科学省だったり大学入試センターだったり、教育を国にリードさせている時点で、その未来は明るくないだろう。地域とそれぞれの学校、そして学ぶ<私>が、独立して、国の介入を減じていくことができれば…。それも茨の道だわな。

 そんなことを考えながら、ニュースを探っていると・・・
25秒早く終了 岐阜大での英語リスニング、再試験に (asahi.com)
 岐阜大で17日にあった大学入試センター試験の英語のリスニングで、監督者が予定よりも25秒早く試験を終わらせたことがわかった。この試験室では37人が受験していたが、希望者は24日に行う再試験を受けられるようにする。
 センターによると、試験の終了直前、ほとんどの受験生が聞き取り用のイヤホンをはずしたため、監督者が自分の判断で試験の終了を告げた。だが、実際は30分ある解答時間より25秒早かった。受験生の苦情はなかったが、同じ試験室にいたタイムキーパーが気づき、報告した。
 岐阜大は18日、対象となる受験生に再試験を受けるかどうかの希望を確認する。
 リスニングはなぁ…。
 聞き取りようのイヤホンを外しているからって解答が済んでるって限らないからね。それに全員外していたわけではなさそうだし。
 でも、25秒だったら再試験を希望する受験生もいないんじゃないかしら?

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