28/02/2009
畏怖の対象、かく語りき
◇歴史の教訓、共有を--野中広務さん(83)
「まだ賞味期限が残っているのか、いろんなところから講演を頼まれるんだ」
野中広務・元自民党幹事長。83歳になるというのに、張りのある声は、若手議員からドンと畏怖(いふ)された現役時代と変わらない。
「今の国会運営を見ていたら、選挙を前にした党利党略、個利個略、見せ場作り。世界の動きを見て、国民の目線に立ち、国会で何をするのかを考えるべきなのに、政治家は共有すべき基本線が全く分からないまま、相手の揚げ足取りに終始している。そんな毎日を見ていると、かつて中央政治にあった一人として悲しく思うし、私はいい時に引退したなと思う」
野中氏が引退を表明したのは03年9月。郵政民営化を掲げた小泉純一郎首相(当時)が自民党総裁選で再選される直前だった。郵政族だった野中氏は小泉首相から「抵抗勢力」と批判され、影響力をそがれていった。インタビューでその辺りに話が及ぶと、そら見たことか、という顔をした。
「あれから5年半たって、小泉改革は間違いだったということに国民がやっと気づき始めた」
■
野中氏はいう。
「小泉改革は結果的に『改革利権』を生んだ。その責任が問われるのを恐れて引退を決めた。かんぽの宿やメルパルク(旧郵便貯金会館)だけじゃない。郵政民営化はオリックスなど一部の人たちを利した。改革を熱狂的に支持した国民は踊らされただけだ」
野中氏もかつては自民党の金権政治の中枢にいた。評伝「野中広務 差別と権力」を執筆したジャーナリストの魚住昭さんは、野中氏や故田中角栄氏の政治を「土着的な社民主義」と呼ぶ。地方の土建業と癒着した公共事業のばらまき政治だが根底には弱者への共感があったというのだ。
「公共事業はすべて悪、ダムはやめればいい、みたいな考えは間違っている。採算性の悪い道路を造るばかりじゃだめだが、国土の均衡を保った発展は大切だ。そうでないと地方の住民は我慢し続けるか、そこから逃げ出すしかない。合併できない町村や残存世帯が少ない集落で暮らしている人たちに光を当てるのも、政治の役割だ」
■
麻生太郎政権は失速し、自民党への支持率も急激に落ちている。
「やるべきでない人が総理をやっている。選挙の顔になるという錯覚から麻生さんを総裁にした自民党と公明党の責任は重い」
ならば自民党に下野を勧めるかと思えばそうではない。
「総裁選を前倒しして、新しい総裁の下で総選挙に臨むべきだ。自民党と公明党が真剣に選挙協力すれば、報道されているほど惨敗はしない」
野中氏は民主党が政権を取ったら今より悪い状態になると考えている。政権の中軸は自民党でなくてはいけないというのだ。
「仮に民主党が勝っても(代表の)小沢一郎さんは総理の座につくような人ではない。ぼた餅のようについてもそんなにもたない。短い言葉で勇ましいことを言うが、体力、能力からいって衆院予算委員会で座り詰めで答弁することには耐えられない人だと思う。鳩山由紀夫さん、菅直人さんらの民主党の党首・幹事長経験者たちも、棚からぼた餅が落ちてくるのをじっと待っている。そこにあの党の限界がある。そんな党に政権を渡したら危ない」
野中氏は小渕恵三内閣の官房長官時代の98年、かつて「悪魔」と批判した小沢氏に「ひれ伏してでも」と話し、小沢・自由党との連立を実現させた。当時、野中、小沢両氏の対立は抜き差しならぬ状況にあっただけに、野中氏の“変わり身”は政治家としてリアリストの一面を強烈にアピールした。
「あれで懲りた。懲りたというより、小沢さんには愛想が尽きたね。作っては壊し、作っては壊し、次から次へと要求して……それで結果的に小渕さんを殺してしまった。責任を感じる」
小渕氏は自由党との連立が破綻(はたん)した直後に脳梗塞(こうそく)を起こし、その1カ月半後に死亡した。歯に衣(きぬ)を着せぬ「野中節」は健在だ。「殺して」という言葉に、小沢氏へのいまだに根深い不信感がにじむ。それは「平和」への考え方に関する隔たりの大きさに起因するようだ。90年の湾岸危機当時、自民党幹事長だった小沢氏はペルシャ湾に自衛隊を派遣しようとした。「小沢さんはそのころから変わっていない」
■
野中氏は45年3月に召集され、高知で米軍の上陸に備えて訓練している最中に終戦を迎えた。「広島、長崎に原爆が落とされ、東京をはじめとする主要都市が焦土と化した63年前を知っている人は少なくなった。戦争を知らない世代との『異常な世代落差』をどう埋め合わせていくか。それは我々が語り、教育を通して子どもに伝えていくしかない。明治の終わりから昭和にかけての我が国の激しい危険な歩みを国民が共有しなくてはいけない。ところがそうした教育が最も欠落した層が今のリーダーなわけ」
野中氏は昨年だけで中国を4回訪問したという。旧日本軍が残した遺棄化学兵器で傷ついた少女、残留孤児を育てた中国人に会った。
「63年たっても日本は戦争の傷跡を修復していないとひしひしと思う。中国、韓国、北朝鮮などとの関係を見ても、自分たちの世代の責任として戦後未処理問題を解決しよう、といううねりが出てこない。これは政治として一番貧困なこと。米国の戦略の中で国民の税金を使うだけではなく、この問題に真剣に取り組まないと東アジアに未来はない。現役の政治家はもっとこの国の行方を広い視野で考えてほしい」
野中氏の目には政治は優先項目が間違っていると映る。
「定額給付金より戦後未処理問題。CO2(二酸化炭素)削減に努力しても一回戦争したら飛んじゃう。戦争は最大の環境破壊なんだ」
その口調によどみはないが、どこかしら寂しさのようなものが感じられた。
「わずかでも狂った時代を知っている人間として、この国が戦争に加担するような国にならないために努力した。そうでなければ、52年間も政治の道におった人間としてこの世に生きたかいがない。足が動く限り、言葉が続く限り、戦争がどれだけ人類の悲惨な歴史を残していくものか、国民に訴えていきたい」
【國枝すみれ】
==============
■人物略歴
◇のなか・ひろむ
1925年、京都府生まれ。京都府立園部中学を卒業後、園部町議、町長、京都府議、副知事を経て、83年に衆議院議員に初当選。村山内閣で自治相、小渕内閣で官房長官を歴任。森内閣の発足時、自民党幹事長を務めた。03年に政界を引退。全国土地改良事業団体連合会会長。著書に「私は闘う」「老兵は死なず」など。
毎日系列の放送局で重宝されてる野中さん。僕の先輩であるってプロフィールもあればそうでないってのもあったりする不思議な人ってことで、気になりだした。
Wikipedia によると、僕の先輩ってのは書かれてはいない。
筑紫さんが、なんかある度に隠居してる後藤田さんを訪れて、現状をバッサバッサと刻み撒くってたのを思い出した。痛快ではあったけど、糞詰まり感とでもいうようなモノが、胸に残るような後味の悪さも感じたんだけど、その後はどうすんだって言う点で。そういえばあれも毎日系列だったね。
怪気炎を揚げる小泉・竹中両氏と比べてみると、その主張はマトモに感じるんだけど、それって既に逃げ切っちゃった者と逃げ切ろうとしている最中の者との違いなのかもしれない。
27/02/2009
社説?素粒子で十分でしょ。
麻生首相へ―改めて早期解散を求める (社説@asahi.com)
混迷を続ける日本の政局は大きな節目を迎えた。
09年度当初予算案と関連法案がきょう、衆院で可決され、参院に送られる見通しだ。今後、たとえ野党が徹底抗戦したとしても、予算案は憲法の規定で30日後に自然成立し、関連法案は60日後に衆院での再議決が可能になる。
与党が固執する定額給付金の支給に必要な第2次補正予算の関連法案も、来週には参院で否決される方向だ。そうなれば与党はただちに衆院で再議決し、成立させる。
■先送りの理由はない
これで衆院の解散・総選挙を先送りする理由はなくなった。麻生首相は時間を無駄にすることなく、民主党など野党に協力を求めて予算案や法案の成立を急ぎ、一日も早く衆院解散に踏み切るべきだと考える。
首相は昨秋の就任直後、一度は解散を考えた。だが、世界の金融危機と不況の荒波のなかで、緊急の経済対策を優先するとして見送り、今日に至るまで総選挙を避け続けてきた。
そして2次にわたる補正予算と大型の財政出動を盛り込んだ09年度予算を景気回復への「3段ロケット」と呼び、成立に全力をあげると言ってきた。そのすべてに実現のめどが立った。もはや国民の審判から逃げるのは筋が通らない。
わたしたちが解散を求める最大の理由は、これ以上、日本の政治の混迷、つまり「政治空白」を長引かせてはならないということだ。
経済は急速に悪化しており、与謝野財務相が言うように「戦後最悪」となりつつある。昨年10~12月の国内総生産は年率に換算して12.7%減と35年ぶりの2ケタマイナスを記録。1月の輸出額は前年の半分近くに激減した。
■政治空白はもういい
トヨタやパナソニックなど、日本経済を引っ張ってきた自動車、電機などの大企業が軒並み損失を計上し、他産業も含めて大規模な人員削減が進む。非正規労働者だけでなく、正規社員にも雇用の危機が迫っている。
だれもが政治の役割を期待し、未来への展望を開いてくれることを待ち望んでいる。なのに、麻生政権の機能不全は深刻になるばかりだ。
内閣支持率は1割台に低迷し、不支持率は7割を超える。朝日新聞の世論調査では、71%もの人が「麻生首相は早く辞めてほしい」と答えた。国民の不満は極限近くまで膨らんでいる。
首相はスピード感が大事と言いながら、予算案や法案はなかなか成立しない。「ねじれ国会」になって久しいのに、野党に政策協議を求めるでもなく、局面を打開しようという工夫も努力もあまりに乏しい。
それどころか首相自身が定額給付金や郵政民営化をめぐって軽率な発言を繰り返し、国民をあきれさせている。
さらに深刻なのは、社会保障の立て直しや新たな分野への大胆な公共投資といった長期的な政策論議が深まらないことだ。今の景気対策には、目先のことだけでなく、将来の社会や経済のあり方を展望した視点が求められる。
だが、半年後に衆院の任期満了が迫り、総選挙では政権交代に現実味があるとなれば、与野党間でも腰を据えた議論がしにくいのは確かだ。
外交面でも、基盤の弱い政権の限界が見えてきた。首相は、ロシアのメドベージェフ大統領、米国のオバマ大統領と矢継ぎ早に会談した。今後も外交日程が目白押しだが、政権の生命力に疑問を抱かれていては国益の重さを担う首脳外交は難しい。
さすがに、自民党内にも危機感が広がっている。その中で浮上してきたのが首相交代論だ。不人気の麻生首相では総選挙が戦えないから、9月の自民党総裁選を前倒しして新首相を立てようというわけだ。
ただ、安倍、福田、麻生の3氏に続いて、またまた首相の座をたらい回しすることが許されるものなのか。選挙の前に党首を替えるなら、野党第1党の民主党に政権を譲っていったん下野し、国民の信を問うのが筋だろう。
■危機克服のために
当初予算の成立後、すぐに追加の経済対策や補正予算づくりに取りかかるべきだという声もある。
経済情勢の先行きが厳しいのは、その通りだ。だが、だからこそ最新の民意に裏打ちされた政権を早く築かねばならないのだ。必要なら、選挙と同時並行で対策をつくればいい。
政治を早く再生しなければならない。自公の与党が勝てば「ねじれ国会」は変わらないものの、直近の民意を支えに強力な政治を行うことができる。民主党が勝てば、ねじれは解消され、政治の歯車は回り出す。
総選挙は準備期間も含めてひと月余りで実施できる。有権者が政策を真剣に吟味し、投票を通じて政治に参加する。それが危機克服の大前提である。
ここに至ってなお選挙を先送りするのは、ただただ政権にしがみつこうとしているに等しい。
民主党など野党に呼びかけたい。
早期解散を求めるのは当然だが、それだけでは足りない。自分たちの政権では、どんな政策を、どんな優先順位で、どう実現していくのか。内政、外交の両面で具体的なプログラムを明確に掲げてもらいたい。その作業を急ぐべきだ。それなしに、政権交代の主張に本当の説得力は生まれない。
国政が停滞しているのを全て麻生個人の責任に帰する潔さっていうか脳天気っぷりに咽る。麻生政権解散を言えば、善の御旗を振るえる最近のトレンドを踏まえている点では、さすが「軽」チャーの最先端を往くメディアだなぁと感心してしまうんだけど、個人的にはもっと社説ってのは…って幻想を持ってたんだけどね。
選挙をすればどこが勝とうが、四方丸く収まるように吹いているけど、自公が勝てば現状が変わらないだろうし、「民主党が勝てば、ねじれは解消され、政治の歯車は回り出す。」って何が回りだすのやら…。経済問題にしろ、外交問題にしても、何も見えてこないし、この社説書いた人も分かっていないっぽい。
そこで、民主党に対して「自分たちの政権では、どんな政策を、どんな優先順位で、どう実現していくのか。内政、外交の両面で具体的なプログラムを明確に掲げてもらいたい。」ってリクエストになるんだろうけど、民主党になぜそれができないのかを社説を書いている人ならば分かっているのに書けない所が、問題なんだろうと、僕は思う。
26/02/2009
CL ベスト16 第1節
First knockout round
Atlético 2-2 Porto
Lyon 1-1 Barcelona
Arsenal 1-0 Roma
Internazionale 0-0 Man. United
Real Madrid 0-1 Liverpool
Chelsea 1-0 Juventus
Villarreal 1-1 Panathinaikos
Sporting 0-5 Bayern
予想通りの接戦が目白押し。リバプールはアウェイでの勝利が大きいな。
ジュニーニョのFK凄かったなぁ。
ローマ、インテル、ユーベのイタリア勢は厳しくなったかな。ローマとユーベは2nd legがホームなのが救いかな。それにしてもチェルシー、あんだけグズグズだったのにね。ヒディンク効果?
バイエルンが凄いのか、スポルティングが腰抜けなのか…。
24/02/2009
解決?先送り?
中区で開催中の日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会は22日も分科会が開かれた。「自治的諸活動と生活指導」の分科会では、福島県川俣町立飯坂小の古関勝則教諭(50)が問題を抱えた学級を担任した2年間の実践を報告した。【上村里花】
「低学力」「モンスター・ペアレンツ」「パニックを起こす子どもたち」といった全国的に学級崩壊の要因ともなっている難題に2年間取り組んだ。
古関教諭が担任した小学5年の学級は、学年全体が読み書きが十分に出来ず、さらに感情的に高ぶると泣き叫び、物を投げたり、保健室に閉じこもる児童がいた。また保護者も学校側との話し合いに応じなかった。
古関教諭は、子どもたちが理解できるところまで学年をさかのぼって教え、基礎を徹底▽子どもたち一人一人の頑張りをほめ、認める▽親自身を認め、ほめる▽学ぶ意味を伝える--ことを実践した。家庭学習ノートを作り、漢字や計算などを毎日するように指導。さらに授業後に一人一人が頑張ったことをほめ、子どもたちの頑張りを記した学級通信を毎日発行した。その結果、パニックを起こす回数が減り、学級全体に学習意欲が出てきたという。
また、子どもをほめることで親自身を認めたことで、対応が変わったという。さらに、問題のある親自身が中学時代に体罰を受け、教師から「人間のクズだ」とののしられていたことが分かり、親の心を解きほぐしたことから協力を得られるようになった。
古関教諭は「今の子どもたちは自己肯定感が低く、親自身も競争社会の中で疲弊し、余裕がない。親も子も認められることを欲している」と話した。
「媚び諂う」→「褒める」って、「ヒトカゲ」→「サラマンダー」みたいな感じで、簡単に"成長"させてしまうような教室運営マニュアルへと繋がりそうな記事。現場はそういった教師がもう既にいるので、マニュアル化する必要ないだろうけど。
小3ぐらいまででしっかりと身につけておくべきことができていれば感で、いっぱいなのだが、教育現場も疲弊し余裕がないってことなんだろうな。
学級運営上は解決したとして、子供たちが成長して…っていうのは考慮に入れないのか?
23/02/2009
とりあえず…
2009年2月23日
記者2人が殺傷された87年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件(02年に公訴時効成立)をめぐり、週刊新潮は「自分が実行犯だ」とする島村征憲(まさのり)氏(65)の手記を1月下旬から4回にわたって掲載した。朝日新聞は06年に島村氏と面会しており、他の取材結果とも合わせて検証した結果、手記には事実と異なる点が数多く含まれ、真実性はないと判断した。警察庁など捜査当局も「島村氏の証言は信用できず、事件に関与した可能性はない」とみている。
週刊新潮の記事によると、島村氏は在日米国大使館職員(当時)から「朝日新聞を狙ってくれ」と依頼され、阪神支局襲撃の他に東京本社銃撃(87年1月)、名古屋本社寮襲撃(87年9月)、静岡支局爆破未遂(88年3月)も実行したと証言したという。
島村氏は別の事件で服役中の05年4月~06年9月、実行犯を名乗って朝日新聞に10通余りの手紙を寄せ、06年5月には刑務所内で記者2人の面会に応じた。手紙と面会取材で述べた犯行時の服装▽現場の状況▽凶器などの重要な部分が客観的事実と異なっていたほか、週刊新潮への手記では動機などについての説明が変遷していた。
警察庁は「社会を揺るがせた大事件なので無視はできない」として、阪神支局事件を捜査した兵庫県警などに週刊新潮の記事内容を確認するよう指示。その結果、捜査で裏付けた事実との食い違いがいくつもあり、島村氏が語る経歴などについても疑問点が多いことが判明したという。
朝日新聞は今月22日、島村氏に電話で取材を申し込んだが、「週刊新潮を通してほしい」と拒否された。
で、その評価というか軍配…。
朝日新聞:週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」 (毎日.jp)
朝日新聞、阪神支局襲撃事件で検証記事 「手記に真実性ない」 (NIKKEI NET)
新潮の記事を4回読んでみての印象は、尻すぼみの感は否めない。2回目の最終行で、インパクトを狙ったんだろうけど、3回目がそれを引き継げていなかった。
で、その3回目以降に「オレにも言わせろ!」的に出現した、J-CASTだとか文春はスルーするとして、朝日としては新潮の連載が終わるかたちで総力を挙げての対応としたわけで、この現象に限っては相応しい対応をしたと言える。その点に関しては自分の観点が間違っていたことを認める。
朝日の反論は玉に瑕がない形で行なわれたので、次号の新潮で再反論がなされなければ、新潮は何やってたんだか…って具合で落ち着くんだろうね。
そして、悪魔祓いの戦後史は終わることなく繰り返される…。
22/02/2009
かつて子供たちのあこがれだった百貨店の屋上遊園地が、次々とその姿を消している。家族連れの買い物の場が郊外型の大規模商業施設に移っていることで、屋上遊園地は減りつつあったが、近年の施設の建て替え・増築ラッシュが追い打ちをかけ、いまや絶滅寸前となっている。近畿では現在、大阪市北区の阪神百貨店などにわずかに残るだけ。往時の子供たちの歓声は消え、屋上空間の活用方法も様変わりしている。
屋上遊園地が減少した要因は少子化や子供の遊びの多様化。各百貨店は増築・改装などににあわせ、次々と屋上遊園地を閉鎖している。平成19年夏には高島屋大阪店(大阪市中央区)、20年秋には近鉄百貨店阿倍野本店(同市阿倍野区)で屋上遊園地が相次いで消えた。現在、近畿地方で残っているのは、阪神百貨店や高島屋京都店(京都市下京区)などわずかだ。
近鉄百貨店の広報担当者は「屋上で遊んで大食堂で食事をするのが、かつての家族連れの定番コース。当時は百貨店がテーマパークの役割も持っていた。最近のテレビゲーム世代の子供たちは屋上遊園地に興味を示さなくなった」と話す。
阪神百貨店梅田本店の屋上遊園地に3歳と4歳の息子2人と訪れていた堺市堺区の佐藤智恵子さん(33)は「子供が安心して遊べる数少ない場所だし、何より開放的な気分になれるので、減ってしまったのは寂しい」と話していた。
百貨店の屋上は当初から遊園地だったわけでもない。大正から昭和初期にかけては屋上庭園が流行。周囲に高層ビルがなく、屋上は展望台を兼ねた大人の憩いの場だったが、昭和20〜30年代に入りファミリー客が急増したことを受け、屋上遊園地に様変わりした。
そして近年、商業施設の屋上活用法は再び変化している。平成15年に開業したなんばパークス(大阪市浪速区)は、約1万1500平方メートルの屋上に300種の植物を配置した庭園「パークスガーデン」を整備。都会のオアシスとして人気を集めている。また、近鉄百貨店上本町店は18年に屋上遊園地を廃止し、ペットの犬を遊ばせる「ドックラン」をオープンさせた。
大阪府立大学の橋爪紳也教授(都市文化論)の話「百貨店が置かれた環境の変化に伴って、屋上の役割も変遷している。最近は環境対策として屋上緑化も注目されており、今後は屋上を緑で覆う試みも増えるのではないかと思う」
(2009年2月21日 13:41)
デパートなんて僕にとっては別世界、よってデパオクだなんて、それこそ殿上人が楽しむ場ってな感じの少年時代を過ごした僕にとっては、子連れでデパートを訪れていた堺市堺区在住の女性のように寂しい気持ちになれるはずもなく…。そういった気持ちになれる少年時代を過ごせなかったことをふっと思い出させるという点では、確かにデパオクは「かって子供たちのあこがれだった」んだろうね。
ただ、この話を今聞かされてもって感がないわけではない。経済的な側面から見てもそうだし、スペースの活用という面でも。
屋上の役割の変化ってことでは、橋爪さんがコメントしている通りだと思う。実際街中では風を感じられないんだよね。
20/02/2009
なんだジャッキーは出ないのか?
映画にまつわるニュースの全てが突っ込みどころなんだけど、Dr.スランプのTV放送時と比べて随分と丸くなった原作者のコメントを読むと、言葉を飲み込んで涙を流すしかないだろ…。
「北斗の拳」や「デビルマン」と同じ匂いがするんだけど。
コレ(↓)を観てみると、「シティー・ハンター」っぽさがムンムン。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&fs=1&eurl=http%253A%252F%252Fwww.youtube.com%252Fv%252FYo4t8PeqJ6E&v=Yo4t8PeqJ6E
だって、カンフー映画でしょ、それ。matrix revolutionを観た時に、ドラゴン・ボールを思い出したんだけど、あの壮絶殴り合いが本家のキャラクターで観られるんじゃないかって期待したんだけど…。 evolutionってどの辺がだとかって思いが無いわけでもない。
鳥山さんのアートワークのないドラゴン・ボールに何を期待するんだかって、そもそも論で十分な話だといえばそうなんだけどね。
19/02/2009
局の経費削減のためだと思ったよ。
2009年2月19日
NHKは18日、3月30日放送分から、「きょうの料理」(教育、月~木)で紹介する料理の材料の目安を4人分から2人分に減らす、と発表した。65年に5人分を4人分にして以来、44年ぶりの変更。
一世帯の平均人数が05年に2.6人まで減少したことや、視聴者からも2人分を望む意見が多かったためという。NHKは「食べ物の廃棄が問題となる中、食べ物を大切にする姿勢も示す」としている。一度に多めに作った方がおいしい料理や大人数向けの料理は、今後も4人分やもっと多い分量で紹介することもあるという。
僕が一人暮らしをしている間に、レシピが一人分になるんだろうか?
「食べ物を大切にする姿勢も示す」ってのは、番組の中で鼻に付く位してほしいんだけど、あんまり変わらないんだろうなぁ。変わるんなら観てみたい気もするけどね。
memo:村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞スピーチ
Always on the side of the egg
By Haruki Murakami
I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this:
Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies. Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a
few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to
be one of them.
So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.
The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza
City, many of them unarmed citizens - children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.
It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will
convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories
- stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.
Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to
write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own,
and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions
with utter seriousness.
My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.
He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all,
it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.
That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.
http://www.47news.jp/47topics/e/93635.php(47NEWS)
▼講演全文(英文)を読む
▼講演全文(日本語訳)を読む
▼講演要旨を読む
「卵」と「壁」のメタファーが、勝手に解釈されているなぁ…って感じるリアクションが多かったので。
とりあえずはメモ。
「文学」に関わるものとして、受賞は辞退する必要ないし、素晴らしいスピーチだと思う。ただ、その言葉を「政治」で絡め採ることによって、誤解の再生産がなされるって構造を目の当たりにしているんだなぁって想いとともに。
もちろん、受賞を辞退しろって要求したような人たちは論外だけど。
15/02/2009
13/02/2009
快楽中枢って弄くり過ぎると麻痺するのかな?
2009.2.13 07:38
他人の成功や長所を妬(ねた)んだり、他人の不幸を喜んだりする感情にかかわる脳内のメカニズムが、放射線医学総合研究所や東京医科歯科大、日本医科大、慶応大の共同研究でわかった。妬ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働くという。13日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。
研究チームは、健康な大学生の男女19人にシナリオを渡して平凡な主人公になりきってもらい、ほかの登場人物に対する脳の反応を磁気共鳴画像装置(fMRI)で調べた。主人公は志望企業に就職できず、賃貸アパートに住みながら中古の自動車を所有するという設定。大企業に就職し、高級外車を乗り回す「妬ましい」人物が登場すると、身体の痛みにかかわるの「前部帯状回」という脳の部位が活発化した。自分と同じく平凡な人生を歩んでいる登場人物には、この活発化が見られなかった。
次に「妬ましい」人物を襲った「会社の経営危機」や「自動車のトラブル」などの不幸を示したところ、報酬を受け取ったときの心地よさにかかわる「線条体」が強く反応。この反応は、平凡な友人の不幸では見られなかった。また、妬みの感情が強いほど、不幸が訪れたときの反応が活発だった。
放医研の高橋英彦主任研究員は「線条体はおいしいものを食べたときにも働くことが知られる。他人の不幸は文字通り“みつの味”のようだ」と話している。
「他人の不幸喜ぶ」「ねたむ」脳の場所特定 放射線医研 (asahi.com)
2009年2月13日8時1分
人をねたむ感情と人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の場所がそれぞれ特定され、二つの感情は密接に関係していた――。物語を読ませて被験者の感情を引き起こし、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)で調べた。放射線医学総合研究所などのグループが、13日付の米科学誌サイエンスに発表する。
高橋英彦主任研究員らは、大学4年の男女19人に感情を引き起こす物語を読んでもらった。物語には、被験者に加え、ABCという3人の学生が登場する。被験者と同性のAは、進路や人生の目標がほぼ一緒のライバルだが、成績優秀で裕福、異性にもてる。Bは異性で優秀だが、進路や目標は重なっていない。Cは異性で普通の成績で進路は関係ないという設定だ。
物語を読んだ後に、学生ABCに対するねたみの感情を6段階で答えてもらい、脳の血流の変化をみた。ねたみの感情はA、B、Cの順に高く、身体的な痛みや葛藤(かっとう)などを処理する脳の前部帯状回が働いていることがわかった。
次に、最もねたましいAとねたましくないCに、不幸が起こる続編を提示。Cには起きなかったうれしい気持ちがAには中程度示された。このとき、脳の線条体が活発に動いた。この領域は、社会的、金銭的な報酬を得たときに活動することがわかっている。
また、ねたみにかかわる脳の領域の活動が高い人ほど、他人の不幸を喜ぶ領域で反応が強く出た。
柿木隆介・生理学研究所教授は「ねたみと他人の不幸に対する自己満足は、深い関係があることを示した興味深い結果だ」と話している。(佐藤久恵)
ねたみの脳内メカニズム解明=他人の不幸喜ぶ感情と関連-放医研など (時事ドットコム)
ねたみや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳の働きを、放射線医学総合研究所(千葉市)などの研究チームが明らかにした。ねたみは脳内の「痛み」に関する部位が働き、ねたむ相手の不幸で「報酬」にかかわる部位が活動していた。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。 被験者は健康な大学生19人。学業成績や就職先、所有する車など、平均的な大学生を主人公(被験者自身)とし、進路や興味分野が主人公と同じで成績などが優秀な同性A、分野が異なり優秀な異性B、分野が異なり平均的な異性C-の3人の大学生が登場するシナリオを読ませた。 自己評価によるねたみの程度は、学生Aに対して最も強く、Bにはその半分程度。Cに対してはほぼなかった。脳の活動を機能的磁気共鳴画像診断装置(fMRI)で調べたところ、ねたみを感じる時、身体的痛みの処理にかかわる「前部帯状回」という部位が活動しており、ねたみが強いほど活動が高かった。 次に、学生AとCに食中毒や車のトラブルなど不幸な出来事が起きるシナリオを示し、うれしい気持ちの程度を自己評価してもらった。Aに対しては中程度感じ、Cには全く感じなかった。fMRIでは、Aの不幸に対し報酬系として知られる「線条体」という部位が活動しており、喜びが強いほど活動が高かった。 さらに、ねたみに関する前部帯状回の活動が高い人ほど、他人の不幸を喜ぶ線条体の活動が高いという関連も分かった。(2009/02/13-04:54)
12/02/2009
Had Charles Robert Darwin had access to the Internet
今年はダーウィンの生誕200年、更に『種の起源』が出版されてから150年ってことで「ダーウィンの年」を記念して色々予定されているんだとか。例えば、住んでいた家を世界遺産に登録しようって動きが有ったり…。僕は門外漢であるからブログのリンク先のフルテキストなんかはもうお手上げなんだけど、でもトピックスとしては興味を惹かれるなぁだなんて思ってるので、ブログは覗いてんだけど、ダーウィン自身が「小汚い」って言っていた家が、結構素敵だなぁだなんて思う程度。
で、今日2月12日がダーウィンの誕生日ってことで、まさに生誕200年。誕生日(生まれた日)が2月12日の人々 をこのサイト で調べてみると、1809年2月12日って、エイブラハム=リンカーンの誕生日でもあったってのが分かった。奇しくもと言うかなんと言うか。P.クライファートとR.V.ニステルローイの生年月日が全く同じってくらい驚いた。いや、あまり関係ないんだけど。
11/02/2009
ブックマークがえらく肥大している(;´Д`)
【連載】ケータイネット世代のきもち (マイコミジャーナル)
マイコミって件のオフィスで、この原稿もあのオフィスで書かれたのかなぁだなんて馬鹿なことはさておくてして、「サンプル1人」でコレだけのことを書けるのってスゴイなぁだなんて思いつつ、途中で読むのにくたびれてブックマークってパターンかな。実際に信頼できる実証で「ケータイ派」と「PC派」の差について述べている論文だってあるだろうに。職業ジャーナリストが、いちいち信頼できる情報にすべて当たってそれらに基づいて記事を書いていたら、市場から淘汰されちゃうってのが現実だろうから、別に記事を批判する気もないんだけど。
自作パソコン・メモリテスト(Memtest86)
パソコンの自作だなんて夢にも思ったことがなかったはずなのに、どうしてこれがブックマークされていたのかは、ブックマークした本人にも謎。
インターネットに繋がらない場合の確認方法 (ちくわブログ)
インターネットに繋がらない時に備えてブックマークしたんだろうけど、繋がらない時はこの文章にも繋がらないわけで…。こういうのって、先に読んでおくべきだよなぁ…。僕の場合、こういうことって結構ある。
銀行で借りた金は堂々と言えても、サラ金から借りている事がバレたら困る訳。 (【岸田コラム】)
読んでみて、まぁそうなんだろうなぁと思ったんだけど、まさかブックマークされているとは…。サラ金って言葉がマスコミから消えたり、サラ金が銀行の傘下になったりだとか時は移ろっても、サラ金のお世話になっちゃう人はいるわけで。そういった意味では今読んでみても、まぁそうなんだろうなぁ。
Internet Explorer 8
…
06/02/2009
おくやみ:山内一弘さん
記事ではスルーされているけど、1995年の阪神の打撃コーチ時代にはよく大阪新聞の記事で見かけたなぁ。当時も「えびせんコーチ」のニックネームで、投手陣を集合させて打撃指導を延々行なっただとか、新庄を熱心に指導するんだけれども、傍目から観るとなんだか漫才しているみたいだとかって記事で楽しませてもらった。
スタルヒンの銅像を見ている新庄に、自分はスタルヒンからホームランを打ったことがあるって自慢げに話していたって話が印象に残っている。
05/02/2009
キンタマ握られちゃチキンになるわな
首相に歯向かう人事院総裁 どうしてそんなに「偉い」のか (J-CASTニュース)
地方の要らなそうな組織の首脳や私立・国公立を問わずに大学のある種のポストもそうなんだけど・・・
人事院首脳ポストは 「マスコミOB指定席」だった (J-CASTニュース)
04/02/2009
公務員改革について
公務員改革と聞いて思い出すのが、1990年代初頭の政治改革。あれも結局は選挙制度の変更ってカタチで落ち着いたのに加えて、政党助成金だなんてモノが制度化された。泰山がどうかしてって話。
国民(大衆?民衆?庶民?)が本音ではそんな位置に着きたいなぁって思っている社会では、政治改革も公務員改革も画に描いた餅で終りそうだし、そういった点で日本は変わってこなかったし、これからも変わらないんだろうなぁ。
それにしても、日本のマスコミは「改革」が好きだなぁ。枕詞だけはコロコロ変わるんだけど。
個人的にはグッドニュース
サッカー岡田ジャパンの親善試合、対フィンランド戦が4日に行われるが、注目は試合結果にあらず。ズバリ、TBS系で放送されるテレビ中継の視聴率だ。(夕刊フジ編集委員・久保武司)
その最低ラインは10%。というのも、サッカー日本代表のホームゲームはゴールデンタイムの生中継が基本。試合開始時間を午後7時20分にしているのも「7時のNHKニュースの終了時間を意識してのもの」(協会関係者)という。
複数の民放関係者に聞くと「今はゴールデンタイムでも視聴率20%はなかなか取れません。それでも15%はとらないと、とても合格ラインとはいえません」と異口同音だ。
先月28日、敵地で行われた2011年アジア杯予選のバーレーン戦(0-1で敗戦)は、日本代表戦としては実に11年ぶりに国内でテレビ中継が行われないなど、注目度ダウンの岡田ジャパン。今回万が一、視聴率10%を切った場合。それこそ日本サッカーに非常事態宣言が発令されたといっていい。
「ゴールデンで10%を切った場合は、2度とゴールデンでは放送できない」というのが民放テレビ局のおきてだ。そうなった場合は岡田ジャパンがゴールデンタイムから撤退する可能性が十分。実はこの流れ、2001年に長嶋茂雄監督が勇退し、03年に松井秀喜がメジャーに移籍した巨人軍が、視聴率急降下に悩み、今や中継数は激減、デーゲーム増加傾向にあるのとまったく同じといっていい。
フィンランド戦は勝って当然。試合の結果より、翌5日発表される視聴率を、日本サッカー協会は祈るような気持ちで待つことになる。
サッカーのテレビ中継といえば、キリンカップもトヨタカップも、日曜日の昼間に淡々と中継されていた時代を知っているものにとっては、ほんとに良い報せ。ゴールデン帯なら、裏番組も強敵ぞろいだろうから、視聴率は低いだろうね。この点については、よく判らんけど。とにかく、この記事がトバシでなければ好いのにと切に願う。
それにしても、15%だなんて、大きく出たよなぁ…某民放関係者。普段はサッカーを、スポーツニュースでも、申し訳程度にしか扱ってくれないのに、視聴率だけ要求するとは…。テレビ局というか、広告代理店の思惑なんだろうけど。まぁ、この記事が飛ばしで無ければってのが前提の話なんだけど。
試合前の奇妙な演出と試合中の過剰な実況が放送されないのならば、深夜録画で良いなぁってのが正直な気持ち。平日のゴールデンに放送されても観られないし。ゴールデンとしては視聴率は低いけれど、深夜だと高いって話だから、テレビ局としてもその方が良いんじゃないの?コレも、この記事が飛ばしでなければって前提なんだけど。
これからのサッカーのことを考えると、子供を含めた若年層が観ないとなぁ…。この点について、NHKも含めたテレビ局の奮起を期待したいんだけどねぇ。
03/02/2009
指導だけでなく開発まで行なわれるとは…。
女子高校生のスカートの長さをめぐり、新潟県で本格的な指導が始まる (FNNニュース)
女子高校生のスカートの長さをめぐって、新潟県では2日から、本格的な指導が始まった。
「日本一短い」ともいわれる新潟の女子高校生のスカートの丈をめぐり、2日、新潟市の高校で、下校する女子生徒の服装チェックが放課後に行われた。
教師は「そんなので、外に行ってほしくないな、先生は。(折り曲げたスカートを)全部下ろしなさい」と指導した。
2日朝の登校時、女子高校生のスカートは、ほとんどがひざ上の長さだった。寒くて、中には脚が真っ赤になっている女子高校生もいた。高校生は「(寒くない?)寒いです。(やっぱり短いのが好き?)えっ! ノリ」、「(どうやって短くしている?)折ってます」などと話した。
女子高校生のスカート丈に対し、新潟市民は「ちょっと短すぎますよね。男性の人が見ても、ちょっとねぇ、変な気持ちになることもあるかもしれない」と話した。
新潟市内では、女子高校生のスカートが切られる事件や痴漢行為などが相次ぎ、さらに寒さから、体調を崩すおそれもあることから、「短すぎるスカートの丈を長くしよう」という取り組みを、2日から本格的に始めることになった。
その1つがポスター。
新潟地区生徒指導連絡協議会の内川 洋会長は「きょうから、それぞれの学校の校舎内に張り出すことになります」と話した。
県立新潟中央高等学校では、校内の廊下や教室の中にまでポスターが張られた。
さらに、2日朝の全校集会でも、スカート丈の長さの指導徹底が行われた。
県立新潟中央高等学校の眞島智宣部長は「スカート丈を短くすることは、一切禁止という指導をしました」と話した。
しかしこの指導に、女子高校生は「もう少し自主性を...。生徒自身の、自分で気づいて長くするのを待ってほしい」、「正直な話、うまくいかないんじゃないかと思っています」などと話した。
さらには「みんな短いんだから、『長くしろ!』っていわれても、無理じゃない?」と話す女子高校生もいた。
スカートの丈を長くしたい学校側と、それに反発する女子高校生側。
今後は、新潟市内だけでなく、県内の100校ほどにもポスターを張り、指導を徹底していきたいという。
こうした中、短くしにくいスカートを開発したメーカーも登場した。
従来のスカートだと、ウエストの部分を折り曲げてスカートを短くすることができるが、開発された巻き上げ防止制服は、ウエスト部分を折り曲げても、プリーツ部分がくしゃくしゃになって、スカートを短くすることができない。
トンボ・スクール企画の花房秀樹部長は「効果はあるので、どうしても困っている学校は、これを採用するケースが増えるには増えていますが」と話した。(02/02 17:39 新潟総合テレビ)
服装チェックの徹底に加えて、「巻き上げ防止制服」といった秘密兵器まで開発されたとなると、次の女子高生の反撃に期待してしまうんだけど、「ノリ」でやってるんなら、戦局が別方面で展開されるかもね。また、「新兵器が量産されて、全国で量産された暁には!」だなんて思ってる人もいるのかなぁ…。
冷えすぎが体調に及ぼす影響の問題を考慮するんなら、何もスカートに拘る必要はないのになぁと思いつつも、野次馬としては正直、女子高生の巻き返しがあればだなんて…。
メモ
Excelの表を「すっきり」Wordできれいに配置する (ASCII.jp)
最近話題になっているようだけど、それじゃ漢検ますますウマー
実は…間違えて音読していたコトバランキング (goo ランキング)
依存心
正解:いそんしん
100
間髪をいれず
正解:かんはつをいれず
86.2
徒となる
正解:あだとなる
78.0
野に下る
正解:やにくだる
77.9
幕間
正解:まくあい
76.9
異にする
正解:ことにする
69.7
市井
正解:しせい
64.3
あり得る
正解:ありうる
64.1
御来迎
正解:ごらいごう
57.5
河川敷
正解:かせんしき
51.4
祝詞
正解:のりと
45.7
詐取
正解:さしゅ
45.4
猛者
正解:もさ
37.3
重複
正解:ちょうふく
36.0
凡例
正解:はんれい
31.6
諸刃の剣
正解:もろはのつるぎ
30.9
黙示録
正解:もくしろく
28.8
女王
正解:じょおう
28.7
既出
正解:きしゅつ
27.7
建立
正解:こんりゅう
27.1
祝言
正解:しゅうげん
26.9
巣窟
正解:そうくつ
26.1
一段落
正解:いちだんらく
22.7
茨城
正解:いばらき
19.9
柔和
正解:にゅうわ
17.6
警鐘
正解:けいしょう
15.2
月極
正解:つきぎめ
11.1
順風満帆
正解:じゅんぷうまんぱん
9.1
遂行
正解:すいこう
6.4
責任転嫁
正解:せきにんてんか
僕も言い間違いが多いから、間「ぱつ」をいれず、あり「え」る、河川「じき」、黙「じ」録、「じょう」王、「ひと」段落辺りは日常茶飯事かな。あと、茨城/茨木なんかは無意識に間違ってるかも…。
さすがに、詐取を「さくしゅ」だなんて読まないけど、搾取って言ってももうピンとこないだろうな皆…。
02/02/2009
黄昏のホンカンさん
2日午前2時35分ごろ、愛知県豊橋市飯村北の山中川の岸辺で、豊橋市内の男子中学2年生(14)に職務質問しようとした豊橋署の男性巡査長(26)が抵抗されて拳銃を奪われそうになったため、威嚇のため川面に2発発砲、男子中学生を公務執行妨害と傷害容疑で現行犯逮捕した。
男性巡査長は顔などに軽傷。
豊橋署の発表によると、同日未明、巡査長と同市中岩田付近で、もう1人の警察官とパトカーでパトロール中に、2人乗りの原付きバイク2台を発見し追跡。巡査長は1台から飛び降りた男子中学生を追いかけ、職務質問しようとしたところ、もみ合いになり、2人とも川に落ちた。巡査長は「撃つぞ」と警告した上で発砲したという。
同署の伊藤公一警務課長は「拳銃使用については、現時点で、適正な使用と判断している」とコメントした。
(2009年2月2日11時07分 読売新聞)
中学生怖ぇえ~~~~。
子供相手ということで、殴られてからじゃないと反撃できないのかもしれないんだけど、警察官が顔に軽傷だって。しかも拳銃を奪おうとしたって…。
ほんとに中学生怖ぇええええ。むしろ警察官が弱すぎたのかもしれないけど…。
それにしても、どうして威嚇発砲が2発なんだろう?
もしかして、ホントは中学生に拳銃を奪われてしまって、一発ないしは二発発砲されたってのが真相だったとか…。警察官が発砲するより、こっちのほうが問題だもんなぁ。
(追記)
更に詳しい記事が毎日に…。
公務執行妨害:職質受けた中2が暴行 警官が発砲 愛知 (毎日jp)
愛知県警豊橋署は2日、同県豊橋市内の中学2年の男子生徒(14)を公務執行妨害と傷害の疑いで現行犯逮捕した。警官は取り押さえる際、拳銃2発を発砲したが、同署は「適正な使用」としている。
容疑は、同日午前2時半ごろ、同市中岩田の路上で、パトカーで警ら中の同署員2人が、2人乗りの原付きバイク2台を発見した。巡査長(26)が1台を止めて職務質問したところ、後部座席の男子生徒が、持っていた消火器をいきなり投げ付けたうえ、顔を殴るなどの暴行を加えたり、左手にかみつくなどけがをさせたとしている。
同署によると、巡査長と男子生徒の2人はもみ合って道路横ののり面を約5メートルころげ落ち、山中川(水深約15センチ)に転落した。男子生徒が拳銃を奪おうとしたため巡査長は突き放し、さらに抵抗したため、巡査長は水面に向かって、警告後2発発砲した。
男子生徒にけがはなかった。巡査長は左肩脱臼や首のねんざ、顔などに2カ月のけがをした。現場ののり面にはガードレールが備え付けられているが、2人はもみ合ううちに乗り越えたらしい。
同署の調べに対し男子生徒は、「捕まりたくなかったから殴った」などと供述しているという。同署は「深夜で中学生とはわからなかった」としている。もう1台のバイクは逃走。男子生徒と一緒にいた男も逃げた。
同署の伊藤公一警務課長は、発砲について「現時点で、適正な使用と判断している」とコメントした。同市教委は「真摯(しんし)に受け止める。各校の教員に対し、生徒一人一人に法の順守を指導するように指示する」と話している。現場は学校や団地も建ち並ぶ住宅街。【加藤新市】
消火器を投げつけ(何処に有ったんだろうそんなモン)、噛み付き、顔を殴りつけ、拳銃を奪おうとしたって。新たに判ったのは、警察官が脱臼していたことと、警察官が被疑者を中学生だと認識していなかったこと。で、改めて、中学生怖ぇえええ・・・。いや、いろんな意味で。
逃げた後の3人が中学生であるのならば、バイクが誰の物だったのかって疑問も残るけど。でも、大阪では中学生が親の車で轢逃げって話もあったから、案外親が認めていたとか…。
最後に市教委のコメントが載っているけど、教育のセクターだけではなんともならんわな…。大阪府がそうであるように、未成年の夜間外出について、条例で細かく定めるとかって話になるんだろうか。本来ならば「私」の側にあるものが、だんだんと「公」の色彩を帯びてくるって言うか、「公」の干渉を招いているんだけどなぁ。
01/02/2009
ねじれているのか、そうでもないのか?
2009年1月31日12時7分
旧日本郵政公社が07年に一括売却し、東京の不動産会社が1万円で入手した鳥取県岩美町の旧「かんぽの宿 鳥取岩井」が、直後に6千万円で鳥取市内の医療法人が同町内に設立した社会福祉法人に転売されていたことがわかった。
この施設は温泉付きの宿泊施設として78年にオープン。93年に約3万2千人だった宿泊者数が05年には約1万7千人に減少。経営悪化のため、06年7月に廃止が決まり、07年には他のかんぽの宿とともに不動産会社7社に一括売却され、東京の不動産会社が1万円と評価して手に入れた。
同年9月、岩美町岩井の社会福祉法人「フォイボス」が、施設を手に入れた不動産会社から敷地(約1万3千平方メートル)と建物を合わせて6千万円で購入。約1億1千万円の改修費をかけて、鉄筋3階建て延べ約3600平方メートル(入所定員50人)の老人ホームとしてオープンさせたという。同医療法人の森本雅義事務長は「6千万円という購入額はこちらから提示し、当時は安いと考えていたが、評価額が1万円だったとは知らなかった」と話している。
ただねじれているのが面白いなぁ ってだけでは済まないとは思っていたけど、何もせずに5999万円を儲ける不動産屋さんが現れていたとはね。いやさ、諸経費なんかが掛かっていたりするだろうし、法的には問題が無いかもしれないんだけどね。
「ただ、郵政側が施設ごとの資産評価額の開示を行っていないことも問題だ。不動産物件は、立地や建物の構造などによって価値が大きく異なる。93億円が本当に妥当といえるのか、郵政側には70施設それぞれの現状の資産と債務の鑑定結果を公表するよう求めたい。鳩山氏側も、独自の鑑定結果を早急に提示すべきだろう。」 って産経の【主張】が妥当だったと言えるかもしれない。
僕個人としては、この問題だけに限定してみれば、往復書簡の妥当性は産経の方に軍配が上がると思っていたし、朝日が奇妙な主張というか拙速に傾いているのに?の嵐ではあった。冷静に論理的に考えると、朝日の言ってることが妥当で、無理強いをしている鳩山氏って構図なんだけど、一括譲渡先がオリックスだったり、強気だった西川社長が一転凍結を表明したりだとか、感覚的に受け容れ難いなぁって…。
なんだか政治家だとか全逓(今は名称は変わってるのかしら?)の影がちらついたりして、それが各メディアの姿勢だとかに関わってるのかも。でも結論は、よくわからないなぁとしか言えない…。
和歌山の時は分かり易過ぎたんだけどなぁ…。
電動じゃないから…
2009年1月31日20時17分
宮城県大崎市の鳴子温泉をPRしてきた「ミスこけし」が、コンテストへの応募者が減ったことなどから、今の15代を最後に廃止されることになった。
昨年のコンテストは33人に激減。2年間に及ぶ多忙な活動が若い女性に敬遠されるようになったという。不況でスポンサーがつかなかったことも追い打ちをかけた。
昨年は地震の風評被害にも悩まされ、取り巻く環境は厳しい。しかし、関係者は「鳴子の魅力はミスこけしだけではありません」とみすみすこける様子はない。
タイトルは、僕自身に対するツッコミ。記事のタイトルのリンクを見て、なんだか別のことを考えてしまった…。
で、本物の第15代ミスこけし 。
で、記事は結びで「みすみすこけ…」だなんて落としてる。
ラーメンチェーン経営会社を中傷する文章をインターネットのホームページ(HP)に掲載したとして、名誉棄損罪に問われた会社員、橋爪研吾被告(37)の控訴審判決で、東京高裁は30日、1審の無罪判決を破棄し、求刑通り罰金30万円を言い渡した。ネット上の書き込みで同罪が成立する要件について、1審は「マスコミ報道や出版の場合より限定すべきだ」と判断したが、長岡哲次裁判長は「ネットに限って基準を変えるべきでない」と覆した。
橋爪被告は02年10~11月、HPに「経営会社はカルト団体が母体」などと記載したとして在宅起訴された。1審・東京地裁は08年2月に「利用者が互いに反論でき、情報の信頼性も低いと受け止められている」などとネットの特性を挙げ「内容が真実でないと知っていたか、水準を満たす調査をしなかった場合に限って名誉棄損罪が成立する」との新基準を示した。
これに対し、2審は「ネット情報が不特定多数に閲覧されることを考えると、被害は深刻になり得る」と指摘。ネットに限って名誉棄損罪の成立要件を限定するのは「被害者保護に欠け、適当ではない」と結論付けた。
判決後、橋爪被告は「やれるだけの調査をしたのに刑事罰を科せられては、表現が萎縮(いしゅく)してしまう。問題企業や団体をサイトで告発している個人が片っ端から犯罪者にされてしまうのか」と話し、上告の意向を示した。東京高検の渡辺恵一次席検事は「適正、妥当な判決」とのコメントを出した。【伊藤一郎】
==============
■解説
◇被害者保護を重視
東京高裁判決は、ネット上での誹謗(ひぼう)・中傷や人権侵害が横行している状況に警鐘を鳴らし、被害者保護を重視したものだ。判決は、ネットの拡大により「表現内容の信頼度の向上はますます要請され、それにより真の表現の自由が尊重される」とも言及した。ネット上での個人の自由な発言がどこまで許されるのか、議論を深める必要があるだろう。
岡村久道・国立情報学研究所客員教授(情報法)は「現在の名誉棄損罪の基準はマスコミにとってさえ厳しいもので緩和すべきだ。ネット上にはまじめな個人利用者もいる。表現の自由を窒息死させるようなことがあってはならない」と指摘した。【伊藤一郎】
毎日新聞 2009年1月31日 東京朝刊
「ネット情報が不特定多数に閲覧されることを考えると、被害は深刻になり得る」って指摘は、毎日新聞の発信した幾つかの情報にも当てはまるんじゃないのって、毎日によるネタ提供のような記事。
そこで、解説における国立情報学検収書客員教授さまのコメント。ふ~ん(´ー`)y-~~